王位継承に関して、「大和王権とは違うグループ」云々がよく分かりません。他に幾つかあったという認識でよいのでしょうか。

これまでお話ししてきたように、ヤマト王権は、ヤマトのグループを中心とした幾つかの政治集団の連合体です。吉備や出雲、北九州、東海には、王権と同盟した強大な勢力の存在したことが分かっています。しかしヤマトのなかにも、血縁原理でまとまった幾つかの集団があり、そのなかで王位が実力で争われていたと考えられているのです。ちなみに、大王墓と思われる前方後円墳は、ヤマト地域だけでなく、応神陵や仁徳陵のように河内地方にもみることができます。研究者によっては、これを異なる王権グループとみなす向きもあります。