前近代の「客観性」には宗教的要素が伴うとのお話でしたが、史官が「中正」を貫くのは、そういった神への恐れでもあったということでしょうか?

やはり中国の史官の場合、「神」というより「天」でしょうね。後に、地上の官制を反映して天にも天帝の官制が想定されるようになると、人格神的要素も介入してきますが、本来は、そうした人間的なもの一切を超越した概念であろうと思います。それに対する意識に「畏怖」があったことは確かでしょうが、しかし実践においては「恥」の感情の方が強かったと思われます。そのようなことをして、「天に恥じる」ことがないか。まさに倫理の源泉であり、基準です。