「落としもの」としての実践的過去を追うとした場合、それは心性史のようなものを指すのでしょうか。それとも新たなジャンルではなく、既存のジャンル・研究にも結論として実践面を付与しろ、ということでしょうか。

ホワイトは、現在における歴史学の意味、人が生きることにおいて歴史学は何を提供できるのか、を問題にしているのでしょう。もちろん、歴史学的過去はひとつの前提でしょうが、それを絶対視することなく、また現在へ従属させることもなく、社会へ還元する方法を考えてゆく。ぼくの歴史学も、またこちらで話している講義も、それを基本認識に据えているつもりです。