ハレの儀式に対し、日常をケやケガレというが、日常は差別的に考えられてきたのですか。

正確には、祝祭的時空間がハレ、日常的時空間がケ、喪葬的時空間がケガレ、ということになります。一説には、ケとは日常を生きるためのエネルギーのことで、毎日消費をされ続け、やがてケの枯渇した状態、すなわちケガレとなる。これを日常的状態に復帰させるため、エネルギーを再活性化する祝祭を行うのがハレ、と考えられています。一見分かりやすいのですが、しかしこれらの理論的枠組みは、近年の実証的研究のなかで見直しをはかられています。拙文「ケガレをめぐる理論の展開」(『ケガレの文化史』森話社、2005年)を参照してください。