斎槻はそもそも宮廷に植わっていたのですか。それとも、神聖なものなので後から植えたのでしょうか。

斎槻の広場は、飛鳥に宮が重層化する以前から存在した可能性があります。『日本書紀』には、飛鳥寺を建てる際に、飛鳥の衣縫造の祖「樹葉」の家宅を破壊したと記されています。名前から考えても、この「樹葉」が飛鳥の樹木信仰の中心であり、その信仰の中心であった斎槻を、宮廷の祭儀の場に取り込んだのでしょう。以降、夷狄や南島人の饗宴、服属祭儀などが、斎槻に天神地祇を勧請して行われたようです。