馬娘婚姻譚ですが、日本に話が伝承される際には、ハッピーエンドが多くなるように思います。何か原因があるのでしょうか。 / 馬娘婚姻譚について、日本で最後に神になったのはなぜでしょうか。日本化の際には美化される傾向があるのでしょうか。

授業で詳しく扱うこともあるかもしれませんが、実は馬娘婚姻譚は、『捜神記』のあと中国で多様に展開し、『遠野物語』に近い人と馬の恋愛物語も作られてゆくことになります。よって、『遠野物語』のそれが具体的にどの物語を典拠にしたのかは、もう少し史料を博捜して考えてみなくてはいけません。現在いえることは、『捜神記』バージョンと『遠野物語』バージョンの相違が、そのまま中国/日本の文化的相違、心性的相違には直結しないということです。ただし『捜神記』の「馬に厳しい姿勢」には、人間と他の動物とを峻別する儒教的倫理観が明確に表れている、ということはいえそうです。なお、異類婚姻譚全般でいうと、日本にも悲劇で終わる話がたくさんみうけられ、むしろハッピーエンドより多いように思われます。人間と他の動物との関係が峻別されていなかった時代の名残ですので、古いものほど悲劇性は少ない。時代が降って人間が「霊長」と呼ばれるようになった時代ほど、悲劇的な展開が多くなってくると思われます。