2012-11-07から1日間の記事一覧

天皇の継承順については、やがて父子相続が一般化してゆくようですが、男子に限定されてゆくのはなぜなのでしょう。女性天皇もいたはずですが、なぜだめになったのでしょうか。

女帝問題は難しいのですが、皇位は家父長制的な嫡系継承を理想とするようになってゆきます。奈良時代には、皇位継承の法則として「天智天皇が定めた『改むまじき常の典』」が持ち出されますが、これは中国的な父子継承のことを意味するのかも分かりません。…

飛鳥寺と法興寺ですが、当時はどちらが一般的に使用されていたのでしょう?

飛鳥寺は地名に因む名称、法興寺は寺の属性に関わる名称で、『書紀』では同じくらいの頻度で用いられています。土地と関わって呼称される場合には前者、寺自体の意味付けに関わる場合には後者、ということになるかもしれませんが、どこまで厳密に使い分けを…

「漏刻」とは、実際にどのような役割を果たしたのですか。

時間を決定する装置ですので、時を測り、決められた時間に鐘や鼓で時報を鳴らす役割を担いました。講義で扱ったように、飛鳥には世界の中心を標榜する須弥山が置かれましたが、これが王権による空間の支配だとすれば、漏刻を設置し時刻を設定したことは、時…

他国の歴史書から引用を行うことには、どのような意味があったのでしょうか。 / 乙巳の変の物語ですが、中国の話などをいろいろ知っていたはずの当時の知識人は、この話がパクリだということに気付かなかったのでしょうか。 / 真似ばかりの書物で、権威付けが可能だったのでしょうか。

これは、奈良期、平安期にも続いてゆくことですが、漢籍の表現や逸話をいかに盛り込んで文章を作るかということが、漢文文化の教養と成熟を表す指標だったのです。中国では、歴史が政治運営における国家的倫理となっていましたので、歴史上の人物の言動や国…

当時の日本に、王=人間神という考え方は存在していたのでしょうか。

いい質問です。実は、奈良時代以降の「現御神」、すなわち人間でありながら神でもあるという天皇のありようが確定してゆくのは、7世紀末の天武・持統朝においてであって、崇峻の頃には明確ではありません。しかしそれは、自然神よりも上位にある天孫といっ…

三韓と蝦夷は、同列の存在として扱われていたのでしょうか。

もちろん、同列ではありません。蝦夷は文化の行き届かない、国家すら形成していない「野蛮人」という設定ですが、三韓は倭よりも中国に近く、優れた知識、技術を持っています。外交関係を結んだ国家であって、「朝貢国」といった位置づけです(実際は違いま…

レジュメの表をみると、持統天皇の頃には蝦夷の男女に冠位が授与されています。彼ら化外の人々には、単に王朝に服属するだけの存在ではない意味があるのでしょうか。

化外の民を王の徳治のもとに屈服させ、最終的には公民化してゆくことが、中華国家の王の理念でした。蝦夷に官位を授与することは、そのデモンストレーションとして行われたのでしょう。政治的な内実よりも、その点を喧伝する意味が強かったと思われます。ま…

初尾貢上の儀礼について、平安時代以降は殺生禁断や血への穢れ観が強くなってゆきますが、それでも四足獣が天皇へ献上されたのですか。

干し肉という形での肉食はかなり長期にわたって続けられてゆきますが、以前のように鹿が献上されたり、猪が献上されたりということは少なくなってゆきます。もっとも最後まで残るのは鳥で、とくに征夷大将軍(武家政権)から天皇に献上される雉は重要な意味…

初尾貢上の儀礼について、海の物は、日にちが経つと傷んでしまいそうですが、何か加工する技術が発達していたのでしょうか。

典型的なのは、乾燥食品と発酵食品です。前者は、具体的には干魚・干鮑など、後者は米・塩と漬け込んだナレズシです。鯛などのスシが贄として、土師器に入れられ運搬されてきた例が、木簡などにみられます。

服属儀礼の場で王殺しが行われたとき、その場所は引き続き同じ用途で使われたのでしょうか。現代の感覚では、殺人現場は近寄りがたいもののように思われますが…。

アニミズム的世界観では、生命の実体は身体に宿る精霊でした。例えば、アニミズム的な動物の送り儀礼の典型ともいえるアイヌのイオマンテでは、一体の熊を解体し、血・肉・皮・骨を村民で分け合います。現代的視点でみれば獣を殺しているわけですが、アイヌ…

『書紀』では、崇峻殺害は馬子の被害妄想であったように思われますが、事件後、馬子が危機的立場に立たされることはなかったのでしょうか。 / なぜ馬子は、擁立までした崇峻を簡単に殺害してしまったのですか。

『書紀』の記述だけが事実を伝えている、というわけではないでしょうね。現実にはいろいろ複雑な背景があり、改新政府の史観を受け継いでいる『書紀』は、蘇我氏の王権に対する行為を「悪辣」に描写しますので、あたかもすべての非が馬子にあるように叙述し…

王を殺した者に罰が当たる、といったことはなかったのですか。

共同体の王殺しは、共同体全体が相互の合意のもとに行うものなので、誰かひとりに責任が負わされるということはありません。しかし例えば、殷周革命を達成した周の武王が早世してしまい、後の時代にも「いかに暴虐の王であったとしても、臣下が主君を殺める…

フレーザーの挙げた王殺しの事例に、ヨーロッパのものはなかったのでしょうか。

もちろん、ヨーロッパの事例も扱われています。古代ギリシア、ローマの王たちから、ゲルマンの王たち、中世のアーサー王伝説などに至るまで、王殺しのモチーフが追究されてゆきます。しかし、ヨーロッパ世界において最も影響力のあった王殺しは、なんといっ…

歴史上、天皇家以外のものが、天皇を皇族もろとも葬り去ろうとしたことはあったのでしょうか。 / 王殺しは公的に認められたものだったのですか?

崇峻の例は、現役大王=天皇が暗殺された唯一の例ですね。しかし、親王や諸王には殺害の例があることを考えると、それは皇族の血というより、地位の問題だったのかもしれません。いずれにしろ、その地位や皇統が不明確であった6世紀以前は、大王家の継承に…

かつては、凶事があると元号を変えていましたが、王殺しも同じような意味があるのでしょうか。

確かに、「リセットする」という意味では同じですね。王が変わることによって、王と世界との関係、世界のありようがリセットされる。まさに、王にあらゆる不都合なことのすべてを押し付け、あの世へ持っていってもらうわけです。現代日本の首相が頻繁に交替…

王殺しについてですが、中国の易姓革命はこれと同じものですか。

同じ、といっていいでしょう。とくに夏の桀王を殷の湯王が滅ぼし、殷の糺王を周の武王が滅ぼすという正統三代の移り変わりは、暴虐の王を英雄が倒し新王朝を樹立するというパターンですので、フレーザーのいう王殺しの要素を備えています。中国文明では、そ…

古代の日本では、儀式・儀礼が重んじられているようだが、現代の日本ではあまりみかけない。これらはどのように衰退していったのだろうか。

上の質問とも関連しますが、確かに衰退はしているものの、儀式・儀礼が日本列島からなくなってしまったわけではありません。正月の初詣、盆の墓参りなども宗教儀礼のひとつですから、われわれ日本列島に暮らす人間は、実はかなり宗教的な雰囲気のなかで生活…

樹木は神聖視されたということですが、寺院などに使う材木は神聖な木なのでしょうか。仏像なども含め、もし神聖な樹木を使用しているとしたら、神を傷つけることにはならないのですか?

重要な指摘ですね。実は、ぼくが専門的に研究してきたテーマがこれです。確かに現代的な感覚からすると、神の宿る樹木を伐ってしまうのは悪いこと、それこそ罰が当たる行為のように思われます。事実、前近代では「樹木が伐採に抵抗し、伐ろうとするものが突…

服属儀礼の場において、"水"が効果的な役割をしている点が興味深かったです。須弥山石の噴水は、斎槻が水を通す樹木であるのと同じように、水を通したいという意図でしょうか。川上から流れてくる神を引き入れるのだ、と考えてもよい気もしますが。 / 水をめぐる観念や儀礼も、仏教と同じく大陸から伝わってきたものなのですか。 / 水を清浄で神聖なものと扱っているのは、日本独特の文化なのでしょうか。

日本列島では、山地と海岸が近接しているせいか、中国などに比べて川を流れる水が清冽であり、それゆえに水への信仰が強かったという面はあります。ただし、水を崇めるのは日本だけかというとそうではなく、やはり万物の生命の根源として、世界中で信仰され…

飛鳥では、斎槻を中心にもともとあった自然信仰のようなものに、後から仏教が入ってきて、併せて聖なる地となったのでしょうか。もともとの神と、仏教の仏とは対立することはなかったのでしょうか。

史料が断片的で推測が難しいのですが、講義でお話ししたとおり、もともとは斎槻を核とする飛鳥の宗教的スポット(それなりに規模の大きなもの)であったと考えられます。飛鳥の斎槻の話は、その後、平安末期の『今昔物語集』にも出てきますので、古代を通じ…