王を殺した者に罰が当たる、といったことはなかったのですか。

共同体の王殺しは、共同体全体が相互の合意のもとに行うものなので、誰かひとりに責任が負わされるということはありません。しかし例えば、殷周革命を達成した周の武王が早世してしまい、後の時代にも「いかに暴虐の王であったとしても、臣下が主君を殺めることは道に外れる」との批判が出続けるように、王殺しには必ず一種の後ろめたさが伴ったものと思われます。世界史の先例をみていても、暴力的革命の達成者はたいがい潰えてしまい、その後継者が新時代を樹立するといったことが多い。なぜそうなるのか、心性、習俗に関わる面でも調査してみたいものです。