久米歌が、民謡から軍事的な歌へ変容してくる背景には、何か大きな変化があったのでしょうか。

大まかにいえば、結束を高めるための郷土の民謡から、士気を鼓舞するためのいくさ歌へという変遷があり、その背景には王権の確立とそれに基づく征服戦争の進展があるのだと思います。すなわち、王権の軍としての自覚を高めるために、上からの鼓舞に用いられたのがいくさ歌だったのでしょう。現実には、もっと多様な歌が軍営で歌われていたのでしょうが、『書紀』の記述自体が、王権の軍の強力性を喧伝すべく、いくさ歌の事例を中心的に採録した可能性が高いように思います。