自分たちの食料を得るとき、罪悪感を消すために、主と契約をして肉を貰っているのだから大量虐殺にはならないという考えに、人間の身勝手さが表れていると思った。しかしそれは、狩猟という形で動物と向き合っているがゆえに罪悪感を持つのであって、すでにパッケージに入っているものをスーパーで買う私たちには、それすらもなくなってしまっている。自分を正当化するということは、動物と自分を対等にみているのだ。今は完全に人間が万物のトップのようになっているが、だからといってどう改善したらいいか分からない。

こちらは質問ではありませんが、よいリアクションだと思ったので掲載しました。現代社会を狩猟採集社会に戻すのは不可能ですが、せめて我々を取り巻く生命に対し、食物や害獣、マスコットとしてではなく、それぞれ自己の生命を全うするベクトルを持った生物なのだ、という感覚を取り戻しておきたいものです。より便利な情況、より快適な状態を求めて欲望を増進し続ける人間のあり方を抑制し、地球環境の破壊を最小限に止めるためには、そうした思考の転換が必要でしょう。