〈動物の主〉神話がいかなる経緯で形成されたのか知りたいです。一般的に考えると、実現していないだろうと思うような内容なので。 / 主が人間と交わした契約とはどのようなものなのでしょうか? この殺害を正当化することで、人々は救われたのでしょうか? 現在も狩猟が行われていますが、その地域では神話が生き残っているのでしょうか? / 人間が主と契約して肉を送ってきてもらうというのは、どちらかというと人間の方が上位に立っている気がした。祭祀が返礼とみなされ、対等な立場でやりとりされていたのだろうか? / 主、というと

〈動物の主〉神話が機能している社会においては、動物/人間の間の相違は本質的ではなく、常に交換可能、入れ替え可能な存在であるとみなされていました。近年ではこれを、〈対称性〉と呼ぶことが多くなっています。動物の持つ特殊な能力の源泉は毛皮にある、と認識されていたので、その着脱によって動物は精霊の本体の姿=人間と同じ姿を現し、人間は動物の姿になることができると考えられました。すなわち、建前的には両者は平等であったわけです。しかし、祭祀すること・記憶すること、すなわち動物への敬意を失わないことと引き換えに、肉や皮や骨が人間にもたらされるという契約のあり方は、当然のように人間側によって仮構されたものです。自分たちが後ろめたさや負債の念から逃れるために、人間本位の視点で作り上げたものにすぎません。ただし、そうした形ででも他の生命への敬意を持ち続けようと努めるところに、我々が持つ近代主義的思考様式より優れた点を感じるのです。