アイヌの人々によって、熊がどれだけ大切な存在であったかよく分かりました。ただその場合、熊に殺されてしまった人たちは、どのように扱われたのか疑問です。神格に触れたと意識されたのでしょうか、それとも運が悪かったと考えられたのでしょうか? / アイヌでも朝鮮でも、現在のように人間が熊に襲われるといったことはなかったのでしょうか。あったとしたら、熊を危険な動物とはみなさなかったのでしょうか?

熊はもちろん危険な動物であり、それゆえに畏怖されるのです。人間が襲われることも当然あったでしょう。しかし、アイヌにおける神=カムイの概念は、やはり主や精霊に近いものですので、キリスト教の神とはニュアンスが異なります。熊が、まったく落ち度がない人間を殺した、食べたということになれば、どこかで敬意を払いつつも、人間は熊と殺し合うことになります。神道が形成される前の、よりアニミズムに近い本州の神祇信仰でも、同様の考え方がありました。『日本書紀』には、子供を虎やワニに殺された父親が、それらを神として崇めつつも復讐し殺害する、といったエピソードが収められています。列島的カミは絶対的存在ではなく、崇敬を受けつつも、人間と争闘する存在なんですね。