日本史を世界史のなかで捉え直すというところで、「東アジア」から「東部ユーラシア」へという話がありました。地域名を言い換えたところで、捉え直すことになるのでしょうか。むしろヨーロッパ中心の考え方になってしまうのではないでしょうか。

これについては講義でもお話ししましたが、少し分かりにくかったかもしれません。現在の歴史学における「東アジア」という枠組みは、中国の冊封体制に淵源する政治的・文化的まとまりを指していますが、近年ではこの枠組みを超越した歴史的関係が明らかになっています。地域的な問題でいえば、中国の冊封体制の外部にあった諸族、また中央アジアや北方アジア、南アジア、西アジア、そしてヨーロッパに至る国々も、直接的・間接的に、極東の国々と関連を持ち、その政治的・経済的・社会的・文化的あり方へ相互に影響を与えています。また、冊封体制を基盤とする考えは、あくまで中国の華夷秩序を前提とするものなので、個々の国々が中国との君臣関係をさえ一種の外交的方途として捉え、それぞれ独自の世界観を構築していた実態を把握できません。「東アジア」を「東部ユーラシア」に読み替えることは、単に地域名を言い換えただけではなく、歴史的世界の考え方自体を更新することなのです。