刈敷のために生まれた草山や芝山からは土砂崩れが発生し、河川の洪水なども多発したそうですが、人々はその度に復興に尽力したのでしょうか。洪水が起きないようにする工夫はなかったのですか。

共同体のなかには、普通、自然環境の持続的な利用を可能にするための様々な慣習、決まりがあるものですが、権力による強制や災害などの問題が生じると、それが遵守されなくなり一気に破綻してゆく場合もあります。江戸期の草山、芝山がもたらす災害の場合は、講義でも少し触れたとおり、幕府や諸藩の主導で伐採の抑止、堤防の築造工事などが行われました。幕府の伐採禁止令は、17世紀前半から幕末に至るまで繰り返し出されています。しかし、上記工事などは在地住民の負担となる場合も多く、稲作に不可欠な草肥取得が阻害されたり、森林を住処とする鹿・猪などの獣害が多くなるなど、問題も多発してゆく。結果、再び伐採が開始されいたちごっこの様相を呈してゆくのです。