草山や芝山が大規模に広がっていたはずなのに、現在の人々はなぜそれを覚えていないのでしょうか?
重要なことですね。一般には、過去の重要な出来事、共同体の記憶は、長い年月をかけてずっと受け継がれてゆくと思われがちですが、実は多くが忘却されてしまうか、伝承されても時代時代の感覚に従って改変されてゆくのが現実です。自分の記憶力について振り返ってみれば明らかだと思うのですが、例えば、たった2〜3年前に立て替えられた隣近所の町並みさえ、以前に何が建っていたか思い出せないこともある。列島のなかでは共同体自体が実は大変脆弱で、社会が大規模に流動化する時期も何度もありますので、地域の記憶や伝承にしても、記録がしっかり残されていないと、あるいは口頭でもかなり意識的に繋ぎ伝えてゆかないと、多くが消滅してしまうのです。里山観の場合、戦争と高度経済成長によって価値観が急速に変化し、また列島内の景観も急速に変容したこと、人の移動が活発になり社会が流動化したことと、80〜90年代頃から「自然との共生を唱えてきた日本文化」が喧伝され始め、記憶の塗り替えが行われてしまったものだろうと考えられます。とくにバブル崩壊後、西洋へ主張できる「誇り」として共生文化がもてはやされてゆくので、それに対立する事象は次第に削ぎ落とされてしまったのでしょう。