時代区分には、結局基準などないのでしょうか。先史時代は土器のあり方、古代以降は都の変遷など、ばらばらのように感じます。

縄文時代から現在に至るまでは、史資料の残存の仕方も社会のあり方も異なりますので、むしろ統一的基準で語る方が無理があります。その時代の政治・社会・生活のあり方をよく反映し、ある程度のスパンをもって検出しうるものとの視点で考えたとき、それが縄文・弥生時代においては土器であり、古墳時代においては古墳であり、歴史時代においては政治的首都の位置となったということです。しかし、時代区分自体が社会の実態をも表現していたマルクス主義歴史学とは違い、現時点の区分のあり方は、確かに政治・経済・社会にある程度の画期を持つものとはいえ、厳密な意味では便宜的指標に過ぎません。歴史を考える手がかり程度に位置づけておけばいいのであって、いつから古代、いつまで中世…などと議論することは、個人的には不毛だと思います。