丸木舟での移動の話が出ましたが、なぜ海によって隔てられた後も、そこへ乗り出して移動しようという意志が生じたのでしょうか。

契機が何であるのかは、明確には分かりません。しかし縄文時代は、当初は半定住、その後も流動化を繰り返していますので、移動することに対する抵抗は、その後の列島社会より弱かったと考えられます。災害などによって海辺の集落が解体し、離れた場所への移動を余儀なくされた場合、黒曜石などの流通の必要性から沿岸を遠隔地まで移動する必要があった場合、等々が考えられます。常に海浜部にあって海洋に密着した生活を営んでいた人々には、海に対する抵抗も大きくはなかったでしょう。当時は、見渡せる範囲の場所へとりあえず移動し、そこから次の移動地点を探すという「山立て航法」が採られていました。視角に入る豊かな島へ必要に駆られて渡り、そこからまた次の島へ、という形で、場合によっては何代もかけて移動をしていった人々がいたと考えられます。