神社は「神」を祀るところというイメージが大きいのですが、将門や他にも「凶霊」とされる人々を鎮めるために祀ったものが、なぜ神社となるのでしょうか。

いわゆるカミのなかにも、動植物に宿るような精霊的なもの、共同体のアイデンティティーとなるような祖霊的なもの、人間と隔絶した極めて高位の至上神など、極めて多様な存在があります。これらのほとんどは、人間の生活を保護・保証する機能を持っていますが、祭祀の仕方を間違えば、甚大な被害をもたらす恐るべき神格ともみられています(神々の多くが、自然の森羅万象を説明する役割を担っていたため、災害についても同様の意味を持っていたからでしょう)。ユダヤキリスト教ヤハウェ神も、自らの意志に従わない人間に災禍を下す峻厳な存在です。人を神として祀ることは東アジア文化圏のなかでは中国で始まったようですが、前漢後漢の時代、天上世界・冥界に人間界と同じ官僚組織を持つ「宮廷社会」が構想されたことがそもそもの原因のようです。人間が神となることを可能とする神仙思想、道教信仰が広まったことも大きな理由でしょう。続く魏晋南北朝時代には、非業の死を遂げた人々を祠廟に祀る信仰が強くなり、国家から弾圧を受けるものも出てきます。これらが、日本の御霊信仰のモデルとなったものです。日本の神社は、本来自然の精霊的存在を祀る施設であったようですが、それらが地域共同体の首長の権威、王権や国家の権威を体現するに至って、祖霊的な意味合いを強くしてゆきます。中国では分けられていた自然神を祀る施設と人間の祖先を祀る祖廟が、日本では神社に一体化していってしまったのです。その結果、カミは精霊から人格神となり、仏教の輪廻思想なども経由しながら(あらゆる存在が解脱するまで生まれ変わり死に変わりを繰り返すとするもので、神も天道や餓鬼道へ組み入れられた)、凶霊を祭祀し鎮める御霊信仰へ至ってゆきます。鎮魂はそもそも自然の精霊の荒ぶる要素を鎮静化する意味でしたが、やがて人格神の苦しみや痛み、怒りを抑制する意味合いに変わってゆくのです。