伝説や昔話が歴史を補完しうるということ、その逆もあるのが難しい点と思います。例えば、聖書における伝説のような話も、史料になりうるのでしょうか。

もちろん、『聖書』の伝説も貴重な史料となりえます。聖書考古学のような利用の仕方もありますが、ユダヤにおける神観念、自然観、民族の系譜のあり方、歴史に関する考え方、周辺民族への視線、祭祀の次第や制度など、利用できないところはないくらいです。講義のなかでも扱ってゆきますが、『旧約聖書』におけるソドム・ゴモラの滅亡の物語、ノアの洪水の物語などは、類似の形式が西アジア中央アジアに広がっていたと思われます。中国や韓国、日本でも、時代を隔ててその変奏が語られてゆきますので、乞うご期待です。