雑穀・根菜栽培の畠が急速に水田化していったとのことですが、畠で何かを栽培して食べることはあったのでしょうか。どんなものを育てて食べていたのでしょうか。

例えば、弥生時代の早期に属する佐賀県菜畑遺跡では、コメ以外の穀物としてオオムギ・ソバ・アワ・アズキ、その他の栽培食品としてリョクトウ・メロン・ゴボウなどが確認されています。もちろん、縄文以来のクルミ・ドングリといった堅果類も食べられていました。他の魚介類や哺乳動物をみても、未だ縄文的な網羅性が強かったようです。それが中期の大阪府池上曽根遺跡になると、栽培食品としてはコメ、最終食品ととしはヤマモモなどが圧倒的に多くなり、食品に大幅な偏りが生じるようになってゆきます。稲作農耕が本格化し、特定種(この場合はコメ)の栽培のみで生活を維持できる態勢が整ってきたものと推測されます。