ユタのビデオについて、女性の感覚が鋭いというのは、何か生理的なものと関係しているところがあるのでしょうか。 / シャーマンに類する職は、女性の方が向いているのでしょうか。

日本の民俗学、あるいは宗教史研究でも、女性=シャーマン(依代)、男性=審神者(さにわ。依代の神語りを、常人に分かるように通訳する存在)のペアによって宗教儀式がなされる、といった考え方が根強くありました。事実、歴史資料においても、あるいは現代の民俗資料においても、そのような事例は多く見出されるのです。しかし近年では、これは女性を自然や神の側、つまり日常の外に追いやり、男性を文化の側、つまり日常を統括・支配する立場に置く社会的規制なのではないかと考えられるようになってきました。確かに授業でお話ししたとおり、シャーマンの語源になったエヴェンキ族の祭祀者サマンなど、男性のシャーマンも多い。ぼくが調査に行った中国雲南省でも、少数民族の司祭・呪師はほとんど男性でした。近年また話題を集めている卑弥呼の存在も、かつては卑弥呼=シャーマン、男弟=政治担当者と区別して考え、後のヒメ・ヒコ制の元型のようにみなされていましたが、卑弥呼が祭祀のみを担当していたという記述はどこにもありません。沖縄の現行の宗教文化は女性の存在なしには語れませんが、それを安易に「女性性の特性」へ結びつけてゆくのは問題のようです。