血が災いを退ける効力があるとのことでしたが、日本では月経などのようにケガレのイメージが強いです。これは、中国文化と日本文化の相違なのでしょうか、それとも時間的な相違ですか?

血のケガレとしての性格が強まり、制度化してゆくのは、日本でも平安時代以降のことです。例えば『播磨国風土記』では、鹿の血を水田に注ぐことで、苗が一夜のうちに生育するという伝承が出てきます。現在では神社も血を嫌うものとされていますが、かつては血の滴る犠牲が捧げられていたところもありました。奈良時代に入って仏教の殺生禁断思想が広まり、また家父長制の形成と相俟って女性の地位が疎外されてゆくに連れて、血の穢れ視が強まってゆくわけです。しかし、世界的に認められるdirt、もしくはpollutionの排除は、そうしたものに強力なエネルギーが宿っていると考えられたために行われるわけです。すなわち両義的な存在であるわけで、血に対する位置づけもその点に起源するのです。