『捜神記』の関連ですが、日本でも鬼が女や子供を山へ連れてゆき、妻にしたり子供を生ませたりする話があります。他にも、縄文人が山から下って来て、弥生人の女・子供を連れ去ると聞いたことがあります。山=野蛮人、平地=発展した民族という構図が見て取れます。しかし、桃源郷・蓬莱山など高いところは神仙界ともされていますので、山=野蛮人=神仙という関係が成り立つように思いますが、土俵が違うのでしょうか。

縄文人の話は完全にデマでしょうが、そういう話がまことしやかに語られること自体、平地民優勢イデオロギーが、我々を強く支配していることは確かです。これは、稲を税として選択した国家、歴代の王権・政権によって都合の良いように構築された幻想に過ぎませんが、平地民にとって非日常の世界、訳の分からない世界である山が両義性を強く帯びていたことも関係します。山は得体の知れない恐ろしいものが住んでいる恐怖の対象であるとともに、一年の恵みを授けてくれる神霊が鎮座する場所でもある。来訪神が歓待/迫害によって幸福/不幸を届けるのと同様に、山も災禍と恩恵の両面をみせる。山に棲むものをすべてイコールで結ぶより、山そのものをひとつの両義的空間とみるべきでしょうね。