『古事記』『日本書紀』のなかに天皇を相対化する記述があるとのことですが、どのようなものでしょうか? / 皇国史観における『古事記』『日本書紀』の扱い方が、伝統的なそれとは異なるとのお話でしたが、具体的にはどのような点でしょうか? / オオクニヌシはアマテラスに国を奪われたため、その祟りを恐れて天皇の祖先に祭祀されたと聞いたのですが、これも捏造ですか?

これは、次回の授業で詳しくお話しできるだろうと思いますが、例えば、国学の展開のなかで聖典に据えられてゆく『古事記』など、もともと一貫した天皇神話の構造を持っているわけではありません。オオナムチからオオクニヌシへの成長物語など、最終的に国譲りによって天皇神話へ収斂されてゆきますが、もともとは天孫の食国統治などとは一切関係がないわけですし、ヤマトタケルの英雄叙事詩にしても、むしろ天皇のありようを相対化する悲劇となっています。『日本書紀』に至っては、神話の記述自体が多元的で、本文とともにその異伝を幾つも併記する形式を採っています。『古事記』や『日本書紀』そのものの方が、近代に形成された天皇神話より豊かで多様であり、それを生み出した古代社会には、さらに広汎な神話世界が展開していたと考えられます(ちなみに、よく「記紀神話」などと一括されてしまう両書の神話自体、実は全く異なる構成・構造で記述されているのです)。近代の国体とそれを支える皇国史観解釈は、もちろん一部の国学の伝統を継承していますが、多様で多元的な神話世界を一元的に整理しようとした痩せ細った議論に過ぎません。例えば、国体定義の中心に据えられた「天壌無窮の詔勅」など、実は『古事記』にはなく、『日本書紀』の本文にも記されておらず、異伝のひとつとして記述されたものに過ぎなかったのです。なおなお、オオクニヌシの祟り云々は、「反中央史観」の俗説です。そうした解釈もありうるだろうとは思いますが、テクスト自体にはそう書かれていないので、説得的な根拠が必要になりますね(次回詳しくお話しする神道事務局祭神論争が、こうした考え方の出てくるそもそもの契機になったとも考えられます)。