『日本書紀』のほんの一部にしか書かれていない神話を無理矢理正当なものとしたせいで、日本人が本当の神話を忘れてしまい、宗教にあまり関心を示さなくなったのでしょうか。
まず、「本当の神話」などあるのか、ということを考えておかねばなりません。2回目くらいにもお話ししましたが、『古事記』や『日本書紀』自体、内廷や国家の目的のために政治的に編纂した書物であって、古代社会にはより多様な神話世界が、それぞれの地域、共同体などごとに存在したはずです。「本当の神話」があるとすれば、そうした共同体のなかで、生活に密着し息づいていたものこそそう呼ばれるべきでしょう。またそうした神話は、時代や社会の変遷に伴って、人々のニーズに応じ姿を変えるものです。ならば、時代ごとに「本当の神話」があったともいえるでしょう。そもそも『古事記』や『日本書紀』そのものは、民間ではほとんど読まれていませんでした。しかし、国家神道の成立が民間の宗教意識に及ぼした影響は大きく、例えば神仏分離令によって、それまで一般的であった神仏習合の宗教世界は破壊されてしまいました。牛頭天皇や八王子神など、中世の習合的神格が祭られていた神社は、尽く『古事記』『日本書紀』に載る神々へ奉祀神を改めさせられていったのです。私は、日本人が無宗教であるとはまったく思いませんが(そうした位置づけ自体、キリスト教的信仰のあり方を正当とみる偏った宗教観です)、近代の種々の施策が、生活レベルで息づいてきた宗教、信仰のあり方を一部破壊してしまったのは事実でしょうね。