唯一の史料である『古事記』『日本書紀』の信頼性が低いとすれば、聖徳太子だけではなく、その時代の史実とされていることすべてが間違っているかもしれないということでしょうか。

上にも書きましたが、必ずしもそうはなりません。授業で示したように、『日本書紀』を批判的に用いることで明らかになる事実もあるのです。例えば、崇仏論争は漢籍や仏典の引き写しとして、『日本書紀』の描く物語は虚構であることが判明しています。しかしいいかえれば、8世紀の律令国家が仏教伝来をそのように描こうとしたという事実は残り、ではなぜそう描いたのか、という新たな問いが浮上してくるわけです。それによって、仏教伝来の風景はまったく違うものとなります。新たな歴史の扉が開かれてゆくのです。