当時はそれほど各地域間での交流や情報伝達手段は少なかったはずなのに、同じような価値観を持っていることに驚きを感じました。何か理由があるのでしょうか?

…と一般には考えられていますが、商品流通のことを考えてみてください。生活用具の材料となる物品の流通は、縄文時代の黒曜石を挙げるまでもなく、古い時代から確実にみられます。モノが移動するのですから、情報も移動するのです。また、列島社会は縄文以降「定住社会」になったと考えられていますが、時代の画期には列島全土にわたる流動化が何度も生じていますし、意外に人は移動しているのです。割合に固定的な農家でも、娘はどこかへ嫁に出ていますし、次男三男は都市に奉公に出ていたりする。その農家自体、そもそもどこからか移民してきた場合もあります。だからこそ、近代になってから国策として進められたアメリカ、ハワイ、朝鮮、満州などへの移民に、一攫千金を夢見た人々が殺到するわけなのです。前近代の列島社会は、情報も遮断された閉鎖的・固定的なムラだったという先入観自体、改めてゆく必要があるのでしょう。