1748年の『宮古島旧史』は、どのように形成されたのでしょうか。当時の琉球では琉球語が用いられていたことを考えると、どう調査し編纂したのか気になります。

これは説明が足りなかったですね。西村捨三は明治に沖縄県令となった人物で、彼が調査を行った際に発見した1748年の『宮古島旧史(旧記)』を、底本として史料として掲出したのです。実際の成立過程は少し複雑で、「忠導氏おやけ家の大主」なる好古博学の長者が集めてまとめた説話・伝承を、宮古島の在番筆者明友文長良が整備・校正して和文に書き改めたもの、と序文に出てきます。