天然痘の流行に際し、神祇信仰の無力に対して仏教を持ち上げたのは、朝廷内で仏教勢力が力を持っていたためでしょうか。

唐から帰国した道慈、そのあとに続く玄纊、良弁などが、宮廷に最新の仏教思想を講説していたことは確かです。7世紀以来、仏教は宗教であるとともに外交の手段であり、最新の知識・技術を包括した文化としての性格を持っていましたので、支配層がこれに急速に惹かれてゆくことは必然だったでしょう。利用価値が高かった、ということです。しかし、だからといって神祇の力が完全に喪失するわけではありません。初期の神仏習合も神祇を活性化する方向で進みますし、後の本地垂迹説なども、逆に考えると仏教側が神祇を包括する必要があったことを意味します。