疫病による公出挙の赤字が説明されていたが、桓武天皇期の公出挙の利率引き下げなども、疫病による影響があるのだろうか。

桓武天皇の改革は、自らを新王朝の確立者と位置づけるものでした。中国的な郊祀の制度を導入したり、奈良王朝との決別を図るため、革命を肯定するため同王朝では使用の禁止されていた『春秋公羊伝』を、大学寮の正式な教科書として導入しています。公出挙の利率引き下げも、現実的な措置であるとともに、自らの徳治を印象づけるイデオロギー操作でもあったと考えるべきでしょう。