青銅器絵画についてですが、多様性を持っているようでありながら画一性もある。当時の価値観の画一性はどこから来るのでしょうか。

注意しなければいけないのは、あくまで銅鐸の話ですので、限られた流通圏にしか通用しないということです。また、例えば近畿系銅鐸の製作地は近畿中央部に限定されてきますので、その形式はほぼその周辺で決定されていることになります。銅鐸を共同体のシンボルとした集団は、近畿中央部からその配付を受けており、その祭式もある程度共通したものであったと考えられます(そもそもの目的からすると、稲作の知識や技術に付随して供給されたものである可能性もあります)。そのうえで、鳥形木製品にはより広範囲の流通がみられ、土器絵画にも銅鐸などとの共通性/相違性を孕みつつ広範囲の分布が確認できる。その全体から浮かび上がる曖昧な画一性と、より具体的な相違すなわち地域的特徴がみられるわけです。仰るとおり、この2極の関係には充分注意する必要がありますね。