日本は古代において、多くの先進的システムを大陸から輸入しています。そのなかに礼制や仏教がありますが、これは模範とした中国が、儒仏習合の制度を古来から形成していたとみてよいのでしょうか。

中国に仏教が伝来し、次第に浸透してゆくのは後漢以降、本格的に受容と消化が進むのは南北朝期となります。この間、梁や隋のように仏教治国策を採る王朝もありましたが、北魏北周では大規模な廃仏があり、老子の子孫を標榜する唐でも国家的廃仏が企図されました。これらは儒教道教からの扇動による場合が多く、中国でも「儒仏」習合という枠組みはなかなか作られなかったと思われます。