隋への国書の件、なぜ東西信仰が南北信仰より未開とされたのでしょうか。考え方に違いはあれ、優劣はありませんよね?

当時の東アジアでは、中国王朝の政治・文化が価値の基準でした。文字どおりその文化は東アジアのなかで最高水準であり、それゆえに隣国はこれと冊封体制を結んで文物を輸入、消化しようとしてきたわけです。中国でも古代王朝の殷の頃には太陽信仰でしたが、その後の周王朝以降に改められてきた経緯があります。天子が南面する、臣下が北を排するのは礼的秩序の基本ですから、太陽を信仰し東西軸を信仰する日本は、数千年前の文化を維持する未開の国と認識されたわけです。