各豪族が独自に朝鮮半島の交流を持っていたということは、政権自体も容認していたのだろうか。

王権や政権に対して著しく被害を与えない限りは、容認し利用していたものと思われます。平安時代には、遣唐使が停止された後も、民間レベルでの交易が続き、平安貴族の間に高価な舶来の品々が愛好されたことは、近年よく知られるようになってきました。後に平家は、この貿易を通じて富を蓄積し、政治の頂点へ上り詰めてゆきます。北九州だけでなく、日本列島の各地が、国家の目の届かないところで、あるいはその容認する範囲で、海外との交渉を続けていたと考えられます。