神的性格を持つ天皇が、政務を主体的にとっていたのはなぜであり、また平安に入ると、なぜそれが行われなくなってゆくのでしょう。

もともとマツリゴトには政治的要素と宗教的要素があり、お互いがお互いの力・作用を必要としていたと考えられます。すなわち大王の段階で、政治的首長はある程度の神格化を含有していた。天皇になるとそれが一層進み、天上の神々と結び合わされ、地上の神々に優越する「現御神」となってゆく。壬申の乱は起こったものの、全国各地を武力で平定したわけではない王権が統治を行うのは、それぞれの地域首長が祀る神格の頂点に立つことが必要だったのです。しかし、実際上は五穀豊穣や国家安穏などを神々に祈願せねばならない天皇が、その神々よりも優越するという位置づけは明らかに矛盾しており、奈良時代を通じて綻びが生じてきます。また、天皇が前面に出て政務を執ることで、社会不安や自然災害などの責任が天皇へ帰せられる危険も生じてきました。そこで、天皇の神格化を一層進め不可侵の存在へ近づけるために、政務からの後退が進んだものと考えられています。より精確には、このような事情と幼帝化、身心虚弱な天皇の出現などが相俟って進んでゆく、ということになるでしょうか。