新都を建設するにあたって、財源はどこから捻出されたのでしょうか。

当然、国税に基づく国庫から支出されているわけですが、度重なる造都で財源が不足している点は否めません。よって長岡京平安京の建設では、それ以前の難波宮平城京を構成した資材のうち、運搬・再利用可能なものは流用したことが分かっています。また、長岡にしても平安にしても、土地としては秦氏をはじめとする渡来系氏族の勢力が強い地域でした。その誘致自体にも秦氏が動いており、また桓武自身が渡来系の血を受け継いでいるように、彼らの物的・人的支援が大きかったことも想定されているのです。さらに、造都と並ぶ二大事業として進められた征夷も、一面では、収奪の対象を広げる意図があったものと考えられます。