もとは人間であった仏に神々が帰依するというのは、人間が自然よりも優っているとする思想と考えてもいいのでしょうか。

もともと仏教は、あらゆる生命に優劣を設定してはいません(しかし厳密にいうと、仏法を聞いて理解できる人間に、動物以上の価値を認めているのですが)。すべて生命は、その行為の善悪に応じて別の存在へ生まれ変わり死に変わりを繰り返す、ゆえに現在の姿はかりそめのものにすぎないと捉えるからです。よって、世界の呪縛を超越したブッダ以外は、神も人も獣も虫も、基本的には生命として差異のないものと考えます。仏教の内的な世界では、人間が自然より優れているとは一概に言えなくなるわけです。ところで日本古代に仏教が伝来した際、列島の人々は、如来も菩薩も神の一種、外国の神として捉えていたようです(蕃神信仰)。確かに日本列島の場合、そこに息づく神々や精霊は多く自然の象徴です。よって、例えば神々が僧侶に帰依するという構図は、人間が自然より優越するあり方とも考えられます。事実、行基集団などの開発事業は、そうした正当化の物語を創出しながら展開していったようです。ただし、仏自体への帰依ということでは、仏も世界や宇宙を象徴したりするため、必ずしもヒト中心主義で把握しきれない部分が出てくるのです。