◎12で、なぜ晋侯の病が不節制が原因だと結論づけられたのでしょうか。 / ◎14で、晋侯が女性を近づけるうえで節度を保てと諫言されているのは、親族の女性であっても近づけてはいけないということでしょうか。

◎12では、まず晋侯の不行状に関して種々の噂があり、家臣たちがそれを憂える情況があったということです。史官や卜官の発言が機能していないという点は、彼ら官職の質が低下したという問題がもちろんあるのですが、君主への配慮から諫言ができなかったのだという解釈も可能です。東大の平勢隆郎氏などは、あらゆる貴族・王族を批判しまくる子産が韓宣子だけは批判せず、むしろ賞賛していることから、『左氏伝』は戦国韓の史官の編纂であると推測しています。つまり、史官たちの主張が子産に反映されているわけで、そう考えると、史官・卜官を貶める内容というより、彼らがいえなかったことを子産が代弁した、と考えた方がよいのかもわかりません。
◎14について、言外に込められているのは性交渉の問題です。とくに当時の婚姻規制としては、同姓の者と結婚してはならないという点が重要でした。いわゆる、インセスト・タブーです。このとき、晋侯は同姓の女性を後宮に入れていたようで、実はその点が激しく非難されているのです。