歴史というのは勝者の歴史である、という定義をよく聞きます。ナショナル・ヒストリーは国家を正当化するためのものと出てきましたが、それは勝者が自分たちの正しさを証明するということでしょうか。

確かに、ナショナル・ヒストリーにはそうした面が強いですね。現在の教科書記述は、それでも客観性が高いですが、たとえば明治期であれば、いかに江戸幕府を問題視し王朝復古を正当化するかが鍵となる。それを、「進歩」という言葉で表現しなければならない。江戸幕府の側に立てばクーデター以外の何ものでもない「明治維新」が、「革命」の名前で正当化される。鳥羽伏見以降、奥羽戦争、函館戦争の具体的なプロセス、それに関わった幕府方諸藩がどのような処分を受け辛酸を嘗めたかなどは、ほとんど触れられることがありません。日本史教科書の近代史が明治維新正当史観に貫かれていることは、間違いのない事実です。