ランケは、客観的連関を神の力として歴史の背後に想定しているとありましたが、なぜランケは事実が大事という考え方なのに、証明もできない神を信じていたのか疑問に思いました。

やはり、それは前近代的要素なのだと考えるしかないでしょう。現代の価値観や枠組みで、切り刻んでも意味がないものです。ランケにとっては、個々の人間の力を超えて大きく作用してゆく時代のうねりが、「神」という言葉以外では説明できなかったのでしょう。例えば最先端の宇宙物理学のなかでも、その偶発的かつ奇跡的な宇宙の誕生、生命の発生などを振り返るとき、そこに「神の存在」を持ち出す人もいる。ランケの件は、そのような事例と似ているかもしれません。