近代歴史学の実証主義において、正典的史料として『増鏡』や『吾妻鏡』が重視されたとありましたが、他にはどのようなものが正典として扱われたのでしょうか。

史書の体裁を持つものがまずカノンになるというのは、いわゆる宗教的目的や娯楽の意味を持って芸能的に発展した物語より、客観的な意味づけが強いという常識的判断からでした。当時の国家主義的なものの考え方において、ときの政府なり何なりが編纂機関を組織にまとめた、あるいは勅命を受けて相応の文人官僚や学者がまとめた、という点を重視したのでしょう。実録的な典籍ということになりますが、このベクトルは、最終的には古文書に行き着きます。すなわち、土地の契約文書、書状などといった一次史料で、史書などの形で編纂されていないものです。ここには、過去を生きたひとびとのなまの生活が刻印されていて、何者かの「編纂」という主観が加えられていない。明治初年、国史編纂の詔勅が下ったときまず全国的な史料調査・収集がなされたのは、このようなものをいちはやく国有とし、江戸自体的な歴史編纂のあり方と決別するためでした。