久米邦武の筆禍事件について、そもそも批判の契機を作った田口卯吉にこそ非があるのではないでしょうか。

確かに、批判の契機を作ったのは田口ですが、やはり久米論文の内容に、神道家や一般の人々の目に触れたときに問題となる要素は多かったのだ、と思われます。『史学雑誌』に掲載されたときに別段問題化されなかったのは、彼らの研究が歴史学者以外の目に触れなかったからで、田口の再録を通してより多くの人々に読まれた結果、批判が高まることになったわけです。当時の歴史研究者の価値観と、それ以外の人々の価値観の相違が生んだ事件ともいえるでしょう。