「夷酋列像」をみて、歴史上の人物の肖像画とは異なる「醜さ」「野蛮さ」(失礼な言い方ですが)が気になりました。民衆に対して、「我々はこれほどの人物を倒した」という見せしめかと思ったのですが、どうでしょうか?

先にお話ししたとおり、『夷酋列像』に描かれたのは、松前藩が倒した相手ではなく、逆に協力者です。顕彰のために描いた肖像画なのです。その意味で、彼らの野蛮さを強調する意図は、蠣崎波響にはなかったと思われます。しかし問題は、中華王朝で始まった華夷秩序における、夷狄の表現の仕方です。彼らは王朝の文化が及ばない地域の蛮族であり、それゆえに文化的教化の対象とされてきました。長髪・総髪で髷も結わないのは、中華的文脈では怪物か狂人、囚人の姿です。ぼうぼうの髭は、虫や獣の表象です。古代の蝦夷たちも、遣唐使によって中華皇帝に示されたとき、洞窟に住む毛むくじゃらの人々として紹介されています。アイヌの人々の容姿をそのような文脈で表現する差別的な枠組みが、波響の意図とは別に、その意識の根底に作用していた可能性は充分に考えられますね。