人間はなぜ信仰の対象を必要とするのでしょうか。自分の力ではどうにもならないものに対する尊敬・畏怖の念、また、自分自身がそれによってコントロールされているとの感覚があるからでしょうか?

極めて大きな問題ですねえ。難しいことを単純化していってしまえば、「よりどころがほしいから」でしょうね。その背景には、世界というのは苛酷であり、生命を維持するのは極めて困難である、という認識・自覚があるということだと思います。やはり、自分独りの卑小な力では抗えない情況が、いつ何時訪れるか分からない。それを前にすれば、自分の生命など簡単に吹き飛んでしまう。それを何とか堅持し、持続させるために、超越的な力への依存が生じてゆく。「力」の形容は多様ですが、大別すれば「生存の贈与」と「存在の贈与」の2つに規定付けられるかもしれません。前者は、自分たちが日々生きてゆく糧を超越者から贈与されていると捉える神観念で、超越者と自分たちとの関係は水平に近く、アニミズムやパンセイズムなどがこれに相当します。後者は、自分たちの存在自体が超越者から贈与されたものだと捉える神観念で、超越者と自分たちとの関係は垂直的、キリスト教イスラム教がこれに当たります。人間が、大脳新皮質の拡大のなかで得た抽象能力は、単に心身を持続させるための捕食行為に、宗教的・倫理的な意味を付与してゆきます。生きる=食べる=殺すことを通じて発生する負債感を、どう解消し正当化するか。カミや信仰の発生は、そうした生命としての根源にも関わってくるものと思います。