縄文晩期の土偶が抽象的な姿になっているのは、どのような意図が推測されるのでしょうか?

正直にいいますと、これはよく分かりません。ひとつには、土偶の機能が、携帯する護符のようなものに変わっていった、という解釈も存在します。あとは神観念の問題で、かつて人間をモチーフにしていた神霊が、より高度なものへ発展していったということかもしれません。宗教において最も原始的な形態とされるアニミズムでは、動物や植物を崇拝していながら、その本体である精霊は、多く人間と同じ姿形をしていると考えられています。しかしそれから展開してゆく創唱宗教のなかには、例えば人間と同じ姿で神を表現することを冒涜とみて、偶像崇拝を否定するものも存在します。人間のなかに神霊的なものを捉えた祖先が誕生するなかで、自然を表現するものには、人間以上の価値付けが与えられるようになったのかもしれません。後期の遮光器土偶やミミズク土偶など、繁縟な装飾が過多になってゆく段階は、そうした「人間以上」の表現が創出されてゆく過渡期なのだとみなせないでしょうか。