宝誌の顔が割れてなかから仏がみえるというのは、なかなか驚くべき発想だと思いますが、これはどのような起源なのでしょうか(蛇の脱皮など?)。

宝誌が菩薩の真形を現すイメージは、もともとは、人間としての姿に菩薩の姿が重なるといった印象であったようです。それが北宋の頃を画期に、面皮を引きはがす様子に変わってゆく。そのオリジナルとしては、アニミズム社会で動物の皮が、人間と獣を区別するアイテムだと考えられていたことによるでしょう。毛皮の下には精霊の本体があり、人間と同じ姿をしている。毛皮を脱ぐと獣は人間になり、毛皮を着ると人間は獣になる。その主の説話は、古くから現在に至るまで中国社会で語られています。ここからやがて、「化け物が人間の皮を被って人間のふりをする」という志怪の主題も生まれてきます。また仏教図像では、自分の腹を開けて体内にいる仏をみせるという、シャカの十大弟子で実子でもあるラゴラの造形が有名です。この体内を開く姿は、女性性器をイメージして作成されているものもあり、非常にセクシャルです。宝誌のイメージは、これらが複雑に絡み合って形成されているのでしょう。