樹木を大量に伐採して環境改変を行うことは、当時の人々の心性と矛盾しないのでしょうか。 / 古墳時代には、アニミズムなどの観点から森林伐採に反対する人々はいたのでしょうか。 / 森林伐採は国家的事業として行われたのですか?

未だヤマト王権下においては、各地域の土地を公有にするような中央集権体制は実現できていません。よって、ヤマト王権の勢力基盤である近畿地方と、地域首長との関係において設定した直轄地以外で、大々的な国家事業を展開することはできなかったでしょう。しかし、そうした直轄地の周辺で、渡来系の集団をはじめとする先進的グループを送り込み、開発を展開した痕跡は残っています(のちのちお話ししてゆきます)。なお、地域王権や統一王権の展開する環境改変に、共同体レベルでの反抗があった可能性はあります。当時のそのままを記録した文字史料が存在しないので実証はできませんが、7世紀以降の段階でも、国家的開発事業に民衆の反対する事例はあるのです。例えば『書紀』や『風土記』のなかには、樹木伐採や治水事業を展開しようとする英雄、国家の命令を奉じた人物などに対し、自然を表象する蛇などの神々が現れて妨害をする話が出てきます。これを、「いかなる神も天皇に逆らうことはできない」との言動のもとに打ち倒し、開発が達成されてゆく。この「妨害」こそ、共同体の集合的な意志でしょう。事実、『書紀』推古天皇26年是歳条には、国家の命を受け安芸国で造船を行っていた河辺臣某が、落雷した樹木を造船材として伐り出そうとしたところ、在地の人々が「落雷した木だから伐ってはならない」と反対した、という記事が載せられています。落雷し損傷した木をわざわざ造船材に設定したのは、落雷が雷神の憑依を意味し、そうした特別な力を持った木は、それを用いて作りあげる船や家宅、楽器などに、やはり特殊な性能を付与すると考えられたためです。しかし在地の人々は、そうした神聖な木だからこそ、無闇に伐採することに反対しているのです。類似のことは、古墳時代にも各地で起きていたでしょう。恐らく、7世紀の時点より抵抗は大きかったはずです。