朝鮮半島の前方後円墳が倭人官僚のものかもしれない、というのはどういうことでしょうか?
朝鮮半島の前方後円墳は、主に半島南西部の百済地域、伽耶諸国の地域からみつかっています。横穴式石室の構造、副葬品などは百済特有のものが多いですが、前方後円墳の外形、周濠、葺石、円筒埴輪などいずれも列島的性格を表しています。いずれにしろ、百済や伽耶、倭との密接な関係を表象したものであることは間違いありませんが、近年注目を集めているのが、半島諸国にあった倭人官僚の存在です。例えば『日本書紀』敏達紀には、九州南方肥の国の葦北国造阿利斯登の子日羅は、百済で達率という高位に上っています。また同書継体紀には、百済から日本斯那奴阿比多という倭人官僚が派遣されたことを記しています。彼らの墓が、両国の文化を融合させたものとして築造されていたとしても、不思議はないのではないかと思います。