覚阿は、どのようにして複数の外国語を学んだのでしょうか。

慧遠との筆談の問答をみると、覚阿の語学力は主にリーデイング・ライティングであったようですね。基本的に、当時日本で読まれた仏教書は漢文か梵文で書かれていますので、それらに精通してゆくということは、すなわち漢語・サンスクリット語に精通してゆくということになります。中国の情報を得るために商人などとも話をしたでしょうから、多少の中国語もできたと思われます。