覚阿が暴力を振るわれていますが、臨済禅というのは、考えを理解できない頭でっかちには力で分からせるような、体育会系の雰囲気を孕む宗教なのでしょうか?

仏教における修練とは、身心合一のなかでなされるべきものですから、身体の修練は欠かせません。現在の日本天台宗でも、千日廻峰行という、1000日の間、毎朝比叡山の峰々を縦走する荒行が存在します。歴史上、紆余曲折があるのですが、当時の日本仏教は知・論理の方向に大きく傾いており、例えば瞑想による身心の合一が蔑ろにされていました。禅宗はその部分を重視し回復しようとする方向性を持っていたので、ときに上記のような激しいアクションが採られたのでしょう。